100分で名著~法華経~ からの唯我独尊 (改)
先日、某放送局の「100分で名著」を観ました^^
お題は、「法華経」
結構、面白かったです^^
ザックリ説明すると…
お釈迦様の没後、派生した分派に、
「いぁ…そうじゃなくって…」を諭すみたいな~感じの経典らしい。
基本は、平等。(ザックリ過ぎるじゃろ^^;)
そこで、フッと、「唯我独尊」って、間違った意味で伝わってる事を思い出したので、チョコっと書いておこうと思いましての投稿です。
(今回の放送分では、触れられていなかった(と思う^^;)ので、100分で名著とは関係ないかも?だけれど^^;)
子供の頃から、お釈迦様ともあろうお方が、「自分だけを尊べ」な~んて言うかしら?と不思議に思っていたのですが…。
ちょっと前に、本当の意味は、「唯、我、独(一人)として尊し」
つまり、唯一無二の一人として(誰もが)尊いって意味らしいという事を知って、納得^^
簡単に言うと「世界に一つだけの花~♪」って事みたい^^
だよね~お釈迦様が信長公みたいな事言う訳ない^^うんうん^^
(ちなみに、信長公の魔王伝説?も、喧嘩の時の売り言葉に買い言葉的な事が独り歩きしちゃった説がありますが^^)
これって、某放送の前回のお題の哲学書とも、通じるところが無きにしも非ずかなぁ~っと。
ザックリとしか観ていないので、うろ覚えだけれど、
無意識の中の意識(純粋経験)=真理、みたいな。
誰もがそこの所では一つ、みたいな感じだったと思うのだけれど。
それを、善悪も優劣も無く一つ=それぞれが善なるもの=尊い、
だと考えれば、相通じるものが有る様に思うんだけどなぁ…。
つらつら考えるに、どの宗教も、根っこの所は同じなんじゃないかしら。
ただ、権威を欲したり、逆に権威に対抗したり、都合よく利用しようとする作為のせいで、妙な具合に偏ってるんじゃないかなぁ~っと。
キチンと学んだ訳ではないけれど、感覚的にそんな気がしています。
欲求とか言い訳とか感傷とか、そういうモノを排除した「無意識の中の宇宙(真理)」を少しでも意識する事が出来たら、今より、生きやすい世の中になるかもね~って事で^^
意味不明でかたじけない^^;
感覚的には、何となく分かっているのだけれど、言葉にすると、何か違った感じになっちゃうんですよね…。
うまく言い表せないけれど、何となく分かって下さると有難いです_(._.)_
結局、言葉という「枷」の中(残念な表現力?)では、真理は語れないという事で^^;
ではでは~
皆様が笑顔いっぱい幸せいっぱいでありますように^^